臨床心理学で心の整理を付けてみよう

抑うつに関する、臨床心理学の一回目のエクササイズは100点満点中の20点でした。
改めて、勉強しましょう。
そのついでに、この科目の教科書に載っている、「抑うつ」状態になりやすい人を診断できるテストですばらしい高得点をとっちゃう自分としては、自らこの問題に力を入れて取り組んだほうが良いんじゃないかと思ったのですよ。
…あれは、一度鬱が酷くなって、職場が変わってから鬱が少しづつ軽くなっていくころでございました。
この鬱の説明もいいネタになるかとは思うのですが、それは長くなるので置いておいて、この時に一時的に再びどん底に気分が落ちたときの出来事をまず説明しましょうかねぇ。
「馬鹿企画」で一時、触れていたネタなのですがね。
鬱が酷くて、今の仕事を辞めたいと思っておりました。
だけど、自分が慕っている先輩がおりました。
「逃げるような仕事の辞め方は止めろ」
そう言って、先輩は海外出張へ行きました。
あの頃は、明日生きるのも不安でした。
せめて生きているうちにいろいろやっておこう、そう思って、キャバクラで金を使いまくり、風俗に行くようになったのですわ。
だけど、周りの協力のお陰もあって、何とか仕事だけは辞めずに頑張ってこれたのですよ。
そうして、先輩が帰ってまいりました。
先輩、何とか今日まで仕事を辞めずに生き延びました!
…で、先輩に会って、先輩は、自分が今まで持ちこたえたことには少しも触れず、自分がキャバクラで金を使いまくり風俗に行くようになったことを怒り出しました。
その日は週末で、月曜日までずっと泣き続けておりました。
今まで自分がこれだけは何とか守ろうと思ってやってきたことは、何だったんだろう…。
こんな事になるのだったら、とっとと仕事を辞めて、貯金でしばらく静養を取って立ち直ったほうが良かったじゃないか…。
月曜日、上司に「仕事を辞める」と申し出ました。
…まぁ、他にお前を必要としている人間がいると説得されて、結局今の会社を続けて現在に至っていますが、たまに思い出したりすると涙が出ます。
それくらい、仕事を続けるのが辛かったのですよ。
分からない人には分からないんですけれどね。
そ、分からないんですよ。
分からない人間かも知れないのを考えずに、自分の状態についての理解者が現れたと思った自分が馬鹿だった、最近ではそう思えるくらいに整理をつけたのですが、改めてこの教科書に載っている内容を見て整理しましょうかね。
で、まず、抑うつの基本的な考えとして、「学習性無力感理論」という、「何をやってもダメだ」と思うと抑うつになるという理論があるのですわ。
興味があったらセリグマンとマイヤーの犬に対してやったむごい実験でも参照してみるが良いです。
で、自分の場合、
苦しいけれど、先輩に喜んでもらうために仕事を続ける

先輩は喜んでくれなかった

努力しても苦しいままなので激鬱
…って言う説明でいいのかな?
だけど、同じ嫌な体験をしても激鬱になる人とただの鬱程度で済む人がいるのはどうしてかな?
って言うことで、エイブラムソンって言うおっちゃん(多分)が改訂学習性無力感理論というのを考案したのですよ。
これは、本当に「何をやっても無駄無駄無駄無駄無駄」であるかどうかは別にして、「何でこうなるの?」の考え方次第で抑うつになるかならないか変わるんじゃねぇの?
っていう理論のようでごぜぇます。
上記の、自分の行動(仕事を続ける)によって望んだ結果(先輩が喜ぶ)にならなかった、こんな風に行動と結果が結びつかないことを心理学用語で「コントロール不能性」「非随伴性」って言うんだって。
それで、エイブラムソンおじさんはこのコントロール不能性の原因をどう考えるかで鬱の程度が変わってくると考えたんですな。
大まかに三つ仮定しているようです。
1、原因が自分にあるのかどうか
2、原因が状況によって変わるものなのかどうなのか
3、原因が場面によって変わるものなのかどうか
あの〜エイブラムのおっさん、なんか2番と3番がややこしいんだけど。
…といっても、このおっちゃんがそう言って聞かない以上、何とか理解するしかあるまい。
えーと、実際にどうも似ているものらしい。
2番目は自分の努力とか時間の経過で変えられるものかどうか、3番目はそういうのとは別で状況によって変わるものなのかどうなのかって言いたいらしい。
保障はしないけど。
あ、分かりやすい説明発見。
二番目は「いつでも」ダメか、三番目は「どこでも」ダメか、だって。
…分かったような、分からんような…まぁいい、次。
この三つの項目、原因が自分にあって、状況によって変わらなくて、場面によって変わらないと思うと一番ヤバいんだそうな。
で、この理論を当てはめてみましょうかね。
1、約束を持ちかけてきたのは貴様じゃねぇか!だいたい約束した場所もキャバで、貴様が俺に怒った場所もキャバで、夜勤明けでとっとと寝たいのに夜が明けるまで引きずり回してまで俺にキャバを教えたのも貴様じゃねぇか!というわけで原因は向こうだと思う、意地でも思う。
2、…ま、今後女に振り回されないよう気をつけろよ、みたいな事言っていたし、この件は今後は起こらないんじゃないの?というわけで、状況によって変わると思う。
3、先輩としてはずっと言いたかったんだろうね…というわけで場面によって変わらなかったであろうと思う。
およ。
三番目しか当てはまらないじゃん。
三番目の原因への考えがむちゃくちゃ大きかったのか?
だけど、何ていうか、自分が我慢ならなかったのは、自分の悪くなったところにばかり目を向けて、自分の努力に先輩が目を向けてくれなかったことなような気が…。
別にさ、先輩が怒ったことについては無理もないと思っているさ、その後ででも、一言でも「よく持ちこたえた」と言ってほしかったんだ。
…。
閑話休題、こんなふうに原因がうまく当てはまらない状況があるのを考えてのことなのか、エイブラムソンおじさんは改訂学習性無力感を発表した10年後にその発展型である「絶望感理論」とゆうやつを発表しましたとさ。
この理論の特徴としては、
1、コントロール不能性がどうとかこうとか言う以前に、鬱になる出来事はともかく凹む経験があれば発生する
2、鬱になりやすい脳みそを持った人間かどうかが関係している
3、「原因が自分のせいかどうか」は鬱の発生には直接関係ない…けど鬱を酷くするかどうかには関わる模様
というものでござんす。
ってところで話の途中で悪いんですけど、あああ日付が変わる、ちょっとここまでの学習の時点でエクササイズ再び行ってきます。
日付が変わる前にエクササイズをやってしまえば、落っこちても日付が変わってすぐにできるからね。
…。
65点
ギリギリ及第点だよ。
自分は単位さえ取れりゃぁ成績などどうでもいいと考えるほうなんだけれど、単位認定試験で再びこのテストの問題が襲来するのでそれに備えもう少し読み進めてみよう。
で、話を戻しますとね、上記三要素に加えて、「状況」の情報が関わって、これが合体しててどんな原因で凹む経験を感じたかが出来上がり、これと、その他の諸々の原因が合わさって嫌な予感が発生するようになって、それで鬱になる、と。
あー、なんだか複雑で当てはめるのがめんどくせぇな。
まず、
1、凹む経験がある、この場合、具体的には、先輩が怒って褒めてくれないって事ですな。
2、鬱になりやすい脳みそを持った人間かどうかということで、
凹む出来事があったとき、
・自分のせいにして、
・同じ場面でいつでも起こるもんだと思って、
・別の場面でも起こるもんだと思う。
逆に喜ぶべき事があったときに、
・自分のせいではなくて、
・同じ場面でいつも起こるものではないと思って、
・別の場面では起こらない、
そんな考え方をしちゃう傾向で、なんかさっきの改訂学習性無力感理論とものすごく似てね?
自分はどうだろうねぇ…って、ここで気づいたけれど、これを測るテストがないとこの先の段階に進めないんじゃね?
というわけで、この理論を当てはめることができないので、次に行こう、まだ理論がある。
ベックというおっさんが「抑うつスキーマ」というものを考え出したそうな。
で、教科書にその抑うつスキーマを測るテストが出ておりました。
これの点数が高いほど凹みやすい歪んだ考え方をする人間とのことで、自分は大変好成績でありました。
しかも、「抑うつスキーマ」っていうのは死ぬまで治らないんじゃないの?との事です。
ベックさんと、それからエリスさんっちゅう人は、凹む経験をしたときにこの、脳みその歪みっぷりでその後の鬱の酷さが変わってくると申したのですわ。
んで、ベックさんは「認知のゆがみ理論」を発表。
これは、凹む経験があって、上述の「抑うつスキーマ」と、それから頑張れば治せるかもしれない部分である「推論の誤り」が合体して嫌な気分になり、鬱に到達だぜ!
というルートを仮定。
…うーん、これも細かい要素が複雑すぎ、もっと簡単に答えを出せるものはないのか!?
はい次、ピズンスキーとグリーンバーグの「抑うつ的自己注目スタイル理論」。
「自己没入尺度」という、自分について考えたらどこまでも行っちゃう、そんな人間かどうかを測るテストでござんす。
これも大変高得点でした、ていうか満点
どういう意味かというと、点数が高いほど自分に注目しやすい人。
で、この理論も他の理論と同じようにチャート図があってめんどくさいので詳細は省くけど、自己没入尺度の得点が高いほど鬱が酷くなるとさ。
鬱が酷いときに自分のことを考えるとろくなことを考えない…そんな感じ。
というわけで鬱が酷くなるのを食い止めるには、自分に注目するのを防ぐこと。
自分と向き合うよりも、とりあえず気晴らしをしたほうが鬱からの回復が早いそうな。
そうですかそうですか、こんな事書いている自体間違ってますか。
いやいやいや、教科書にも書いてあるけど、自分のことを考えるのがいけないんじゃなくて、やり方やタイミング。
カウンセリングみたいに誰かに相談するとか、そんな風にやれば?との事。
三人寄らば文殊の知恵、ってね。
実際、他人に話を持ちかけたから、今の自分があるのですな。
自分を必要としている人間がいる、と。
もうあの先輩のために生きているのではない、もっとたくさんの人間のために生きるのだ。
なんか以前他所で書いた結論に終始したし、あの先輩への今後の対応についての結論が出なかったんだけれど、まぁいいや、後で考えよう。
…。
うわぁ!うわぁ!俺ってば、初めて大学で習った知識をここで活用したぞ!
これは人類にとっては小さな一歩でも私にとっては大きな一歩である!
あ、そうそう、自分の理解が間違っているとか、教科書が本当に言いたいことと間違っていても自分は一切責任取らないから悪しからず。

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